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カテゴリー:用語集|2009.4.19

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カテゴリー:用語集|2009.4.19
奈良時代の天平13年(741)、当時国府のあった現在の府中市から北方約2.2km、武蔵野台地を背にした平原部(現在の西元町)に東西約 0.9km、南北約0.5kmにわたって国分寺の建立が開始されました。完成した武蔵国分寺は、諸国の国分寺に比べ規模や雄大さは群を抜いたものでした。
多摩地方は、国府設置、国分寺建立によって武蔵の政治・文教の中心として 、経済・交通・文化・産業等あらゆる面で発達し、画期的な繁栄時代を迎えることになりました。また鎌倉時代には鎌倉街道も設けられ、恋ヶ窪地域は宿場町として栄えました。
しかし、偉容を誇った武蔵国分寺も元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉に攻め上る途中の戦火によって焼失し 、それとともに国分寺・恋ヶ窪地域はしだいに農村集落へ変わっていきました。
江戸時代の享保年間(1716~1735) 、武蔵野新田開発は広く盛んに行われました。内藤新田、野中新田などと新田名で呼ばれた大 字名の地域は、すべてこの時代に開発されたものです。
明治維新後の変革は、純農村として時代を歩んできた村民の生活環境に大きな影響を与えました。
慶応4年(1868)国分寺村 、恋ヶ窪村、内藤新田、戸倉新田、本多新田の5村は品川県に、榎戸新田、野中新田六左衛門組、平兵衛新田、中藤新田、上谷保新田の5村は韮山県に属しました。
明治22年(1889)、市制・町村制施行で10村 が合併し国分寺村が誕生しました。同年には甲武鉄道(現在の中央線)が新宿・立川間に開通し、国分寺駅が現在地に開設されると本町・本多地域はしだいに開発されていきました。
明治26年(1893)、国分寺村は、東京府に編入され、翌27年、国分寺・東村山間に川越鉄道(現在の西武国分寺線)が開通し、さらに府中へ馬車便が通うようになりました。こうして、めざましい交通機関の発達や東京市民の郊外 進出などにより、国分寺の人口も次第に増えていきました。
昭和15年(1940)、町制が施行され国分寺町となり 、昭和18年(1943年)、東京府は東京都に改称。
昭和39年(1964)市制施行によって国分寺市となり 、現在に至っています。
カテゴリー:用語集|2009.4.19
国立市は、東京都の西南部にあって、東は府中市、西は立川市、北は国分寺市、南は多摩川をはさんで日野市と接しています。
白壁に赤い三角屋根のJR国立駅(現在工事中)から、南へ真っすぐ伸びる大学通りは幅が約44mもあり、まちのメインストリートです。大正から昭和のはじめにかけての開発当時は、飛行機の滑走路にも使われていました。現在、その道の両側のグリーンベルトには、桜といちょうが交互に植えられ、春には桜の花びらのカーテンがまちをピンク色に染めて、秋にはいちょうの葉が黄金色の輝きを放ちます。この景色は新東京百景にも選ばれ、「くにたち」の象徴となっています。
このまちを訪れたら、あちこちに点在する個性的なお店でショッピングを楽しんでください。自然に触れたくなったら、大学通りを南に下り、緑あふれる南部の田園地帯で散策を楽しんでください。そこには「ハケ」と呼ばれる段丘崖線が連なり、ハケの下には湧き水が流れ、そのまわりをとりまく自然は、四季折々の美しさで、訪れる人を和ませてくれます。そこでは市街地とはまったく違う、もう一つの国立の顔をみることができるでしょう。
このような二面性の魅力が、8.15km2のコンパクトな空間に調和しています。皆さんも、緑と個性あふれるこのまちにぜひ一度おいでください
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